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蚊に刺されて思うこと

08-06,2012

今日は本編から離れたところから書いてみようと思います。

先日、今年初めて蚊にさされました。
右腕のひじ近くを3箇所ほどです。
私は昔から蚊に刺されやすく、刺されると結構腫れて痒くなってしまい、不快な思いをするのですが、それだけではなく頭に浮かぶことがあるのです。

マクロビオティックでは、「蚊に刺されるのは体のバランスが崩れているから」というのが定説になっています。

●蚊に刺されるのは体が陰性になっている。甘いもの(特に砂糖)をやめてしっかりマクロビオティックをやっていけば、蚊に刺されにくくなる。蚊が寄らなくなる。
●どこを蚊に刺されたかにも意味がある。刺されたところが自分の悪いところ(足つぼなどの東洋医学であるように、体の部分が臓器などに対応している)。蚊は自分の体の悪いところの血を吸ってくれる。(→だから蚊に刺されてムカつくとか言わないで、蚊に感謝すべし。)

と、マクロビ世界ではこんな感じのことが流布されているのです。

これが、今でも私を少し苦しめています。

そもそも蚊にさされるだけでも不快感があるのに、「蚊に刺されるのは自分のせい」と言われているようなものです。二重のダメージ。いや、蚊に刺されたことよりも辛いことでした。
特に脱マクロビの真っ只中にいたときは、たまに蚊に刺される度にマクロビ指導者の声が聞こえ、ひどく気持ちがかき乱されていました。最近はそこまではありませんが、やはりそのことを思い出して落ち込んだ気持ちになりました。

第一に、「蚊に刺されるのはバランスが崩れているからで、蚊が悪い血を吸ってくれていて、マクロビで整えば本当に蚊にさされなくなる」のかということなのですが、それを証明したものなんていうのはどこにもなく、マクロビアンの経験談と疑似科学しかありません。
「蚊に刺されにくくなった」と言っている人に対して、マクロビをやっているときにも疑問はありましたが、それをうやむやにしてしまうような状況だったのです。
自分の体験としては、マクロビを始めてから蚊にあまり刺されなかったのですが、それは自分が家にいることが多くなり、蚊に刺されるような状況に身を置いていないからでは?いったいどこからどこまでがマクロビの効果なのか?と悶々としていました。
ちなみに、ある有名指導者がその師(超大御所)に「もう蚊なんて寄ってこないでしょ」と言われて「いやあ・・・(今でもたまに・・・)」というようなことをブログに書いていたくらいなので、蚊が寄らないとまで行くにはなかなか遠い道のりなのだな、とマクロビ時代に思っていました。

そんなアヤシイ情報なのにどうして信じちゃうの!?と疑問に思うかもしれません。
まず、マクロビをやっている身としては「マクロビをアヤシイ情報だと思っていない」という前提がありあます。アヤシイと思っていないからできるわけです。
それから、「マクロビで蚊に刺されにくくなるという前提は証明されていないけど、それが間違っているという証明もない」という意識が、マクロビをどこか片隅に置いてしまう余地になっていました。(そのことを家族に話すと「『証明できない』ということがすでに証明」と言われ、納得できないでいたら、「それはもうマインドコントロールだね」と言われました。)

蚊に限らず、マクロビではこんな感じのことにあふれています。
○○になるのは▲▲な状態になっている。ちゃんとマクロビをやれば○○は良くなる。
束ねて言えば、「食べものであらゆる自己コントロールが可能だ」というのです。
自分の力次第で、コントロールができる。
それは、「自立した立派な大人」として大変魅力的に映ります。今の時代は特に、そういった姿を求め、求められている社会のように感じます。
でも、ほんとうにそれがすばらしいことなのでしょうか。
コントロールなんて、そんなに出来ることなのでしょうか。

「コントロール可能」「自分のことは自分でなんとか出来るもの」「努力すれば何でも出来る」といった無意識下の前提。そういうものが、この社会の息苦しさを助長させているように感じるのです。

ちなみに、先日私が蚊に刺された状況というのは、夕方、草が生い茂る庭で野草詰み。ナチュラル虫除けスプレーと長い手袋をしていましたが、ちょうど袖と手袋の僅かな隙間を狙ってきたと思われます。そして私の血液型はo型。そりゃ、刺されますよね・・・。
(↑この記事を書いた時点では、「刺されやすいのはo型だから」という理由に信憑性があると思っていました。でも、よく調べてみると、その真相はまだよくわからないようです)
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脱マクロビに至るまで 21

07-17,2012

(前回の続き)

●マクロビに批判的な意見に出会うと、自分が責められていると感じる
私を脅かす声をなんとか払拭しようと、力になりそうな社会学的文献を読んだり、マクロビ・疑似科学批判のブログを読み漁ったりしました。
そうやって自ら進んで批判の文章などを読む一方で、胸がヒリヒリ痛むような思いもありました。
まるで自分が糾弾されているように感じたのです。

私はマクロビ理論を誰かに吹聴していたわけではありません。むしろ、マクロビをやっている最中でもマクロビの世界に対して穿った見方をしていた側面もありました。
でも、自分がものすごく馬鹿で愚かで浅はかな人間だと言われているような気持ちに苛まれていました。
その一方で、マクロビが正しいと言ってくる人が私の中にまだ居続けてもいたので、どちらからも責められているかのような心境に、度々なりました。

他にも、ガン治療で民間療法をさまよい歩いた方のエッセイや、カルト宗教関係のルポルタージュ、アメリカの主婦雑誌から読み解く社会学の本なども、だいぶ助けにはなりました。
でも、マクロビオティックから抜け出すにはまだまだ不充分でした。





これらのパターンが、現れては苦しむ状況が長く続きました。

マクロビオティックは私の心身を共にひどく痛めつける結果になってしまいました。
真剣になればなるほど、おかしくなり、はぐらかされ、肉体的にも精神的にも相当傷つきながらも、それでもしがみつくしかない、という状態でした。
もともと追い詰められているのでその世界から抜け出せない、というループです。
体調もなかなか良くならず、精神的にも本当に苦しい状態が続きました。
完全なノイローゼ状態で、もう限界です。
 
これ以上マクロビオティックに縛られたくない。
だからといって、やる前と全く同じような食生活に戻りたくもありませんでした。

考えた結果、オーガニック料理教室を探しました。
少なからずマクロビのことを知っていて、マクロビから逸脱したものも食べながら、薬を飲んだりせず自分の体調を整えられるような暮らしをしている人に出会いたかったのです。
そして私はあるオーガニックの料理教室の門戸を叩いたのでした。

脱マクロビに至るまで 20

06-22,2012

最初にも書きましたが、マクロビオティックを続けるよりもマクロビオティックをやめることの方が、ずっとずっと大変でした。
いざ、「マクロビやめよう!」と思っても→はい、やめました→今日から“何でも”食べましょう!というわけにはいかないのです。
一度身に付けてしまったマクロビの世界が、私の一挙手一投足を縛るのでした。
それは、いくつかのパターンで現れました。

●マクロビから逸脱した食べ物をなかなか食べられない
試しに「肉でも食べてみようか」と思うと、「肉は陽性過多で○○になる!」という言葉が横切り、気持ちが萎えて食べられなくなってしまいます。
しかし、頭ではむしろマクロビ批判的思考になっているので、「そんなの迷信!」と頑張って自分を奮い立たせるのを通り越して、「バカじゃないの?」「そんなんだからいつまでも体調が良くならない!」と自分をdisるところまでいきます。

●何かしようとするたびに指導者の声がする
声がするのは、料理・食事のときだけに限りません。
例えば、ちょっと棚に指をぶつけると「体が陰性に偏っている!さっき食べた○○のせいだよ」。
絶えず私を見張り、監視し続けます。
うっかりお皿なんか割っちゃった日には、大変なことになります。

●体が反応するものもある
マクロビに対しては懐疑的・批判的であっても、
例えば白砂糖を摂ると頭が痛くなったり、
砂糖の甘さとドライフルーツの甘さと米飴の甘さでは体への感触が違ったり、
魚を食べるときには大根が必須だったり、さんま一匹は多くて食べられなかったり、
スーパーで適当に買った慣行農法の野菜は味がないし、
圧力鍋で炊いた玄米はすごく体が温まるし、真夏以外のカレーは体が冷えると感じるし、
乳製品を摂ると(冷たいものでなくても)内蔵が冷えることが多かったり、
梅醤番茶はいろんな不調に助かっています。
マクロビに批判的な方は、これらのことを「思い込み」と一笑に付したり、“プラシーボ効果”などで説明をつけるかもしれませんが、私にはどうしてもそれだけとは思えませんでした。
こうした自分の体験は、「やっぱりマクロビは正しいのかも」という考えを助長させるひとつでもありました。

●「マクロビはひどいかもしれないけど、正しいのかもしれない」
多くのマクロビ指導者や広めている人は「マクロビですごく健康になって、心身共にハッピー」と言います。
私はその人たちが言う「マクロビで超健康体」を素直に受け止めていたのでした。
今だと「健康である」というその前提自体かなりあやしいことがわかります。
当時からも、そもそも「健康とは何か」という問いはずっとありました。
でも、「マクロビで健康を手に入れた人たち」というのが、脅威にすら感じるほど私には大きい存在でありました。

毎日痛くもかゆくもない生活が当たり前。もしちょっと体調がおかしくなっても、食事や自然療法で治せる。“ちゃんとやっていれば”まず病気にはならない!それこそが「本来あるべき姿」という理論は、圧倒的な強者に感じられたのです。
そんな「超健康体でハッピーな世界」に出会える(はず)のマクロビオティックが、私の前に立ちはだかっていました。

私はディープにマクロビっていた頃から、マクロビオティックにおけるマイノリティに対する差別的発言や誤解(例えば、不登校や性的少数者や障がい者になるのは食事が原因であり、まるで“自然の摂理に逆らった間違いの表れ”として捉えられていること等)には敏感で、それに対する反論も自分の中でしっかり持ち合わせていました。
マクロビが言う「自然の摂理」は、たかだか150年くらいの近代の価値観によって形成されたものも多い、ということも知っていました。
しかし、マクロビ世界の中でもみくちゃにされていくうちに、私の中で“(自称)マクロビ健康人”こそが説得力のある存在のように思えてもきてしまったのです。
そんな人たちの前では、私がどんなに反論を持ったところで、犬がキャンキャン喚いているくらいくらいにしかなっていないような、無力さしかありません。
そして、「マクロビ的思想がどんなにひどくても、それが自然の摂理なのだから仕方がないのかも」というあきらめのようなものも横切るようになりました。
「やっぱりマクロビが言うような『宇宙の真理』というものが存在して、それから外れたものは淘汰される運命にあるのでは」
果ては「抗いようのない“事実”“真理”なのだから、“思想”(考え方)云々として捉えていること自体が問題。さっさとその通りにしなさいな」
と自分に言い聞かせるような声がすることもありました。

●反発する自分とのせめぎあい
それらに素直に従えていたら、まだ精神的に楽かもしれません。
でも、マクロビに屈しそうな自分の横にはマクロビに反発する自分が、しっかりいたのです。
上の「マクロビはひどくても自然の摂理なのだから」ということが頭に出てきたとき、絶望的な気持ちになりました。
絶望するということは、そんなのイヤだ!ということの表れです。そう思うと絶望の中に少しは光があるとも言えます。
しかし、我に帰った時、そのようなことを微塵にも思った自分がまたひどく恐ろしく、それはそれで自己否定感に苛まれ、さらに苦しむのでした。

(続く)

脱マクロビに至るまで⑲

06-22,2012

またもやしばらく間が空いてしまいました。

最近になって、ようやくマクロビの呪縛から解き放たれたと実感できています。
大変喜ばしいことなのですが、それにともなってマクロビ時代の自分のことを思い出しづらくなってきています。
今はとても充実して、やる気に満ち溢れ、ずんずん前へ進めるような気分でいます。皆様に楽しんでいただけるような料理の仕事を、どんどん打ち出していこうとしている日々です。

でも、やはり「脱マクロビ」のことはずっと気にしていました。
マクロビ的なものが「なんとなく良きもの」として賞賛されるムードにすれ違うたびに、歯がゆい思いをしています。
「脱マクロビ」を言葉にすることも、私のやりたいことの大きな1つです。
このまま終わるわけにはいきません。なにしろ「脱マクロビに至るまで」と言いながら、肝心の「どうやってマクロビから抜け出したか」というところをまだ書いていないのです!!

今までのように時系列でじっくり書いていくことが向かなくなってきているのかもしれません。
これからは、もう少し違う形で書く方向になりそうです。

なかなか最後までたどり着きそうもないので、今の体の状態のことを先に言っておきますね。
今はおかげさまで体調が回復し、生理も順調に来て、楽しい毎日を送っています。ご安心ください!
これからも、書いたり立ち止まったりなペースになると思いますが、よろしければお付き合いください。

脱マクロビに至るまで⑱

03-22,2012

ホルモン治療を受けていた~マクロビをやめようと思った頃、SMSの日記に率直な思いを吐露していました。当時の状態・心情がよく表れているので、一部転載します。


今年の春から1~2ヶ月に一度、のっぴきならない理由によりホルモン剤の注射をしていて、副作用に悩まされている。
体のほてり、吐き気が主で、ごはんが食べられなくなる。そんな状態が、波はあるが1週間から10日ほど続く。おまけに風邪も引きやすくなる。状況の改善(投薬をせずにすむ状態になるための要素)にはただでさえ太った方がいいのに、ますます食が細くなるという矛盾。
前回、注射ではなく飲み薬にしたらもっとひどいことになって、服薬を中断。その後は、怖いくらい久々に体調が安定していた。
でも、やっぱりのっぴきならないかもしれないと判断し再び注射を打ちにいったのが10日ほど前。今回は大丈夫かもしれないと思いつつ、やはり1週間前から体調が悪い。あまりごはんが食べられない。
今日一日も辛い。吐き気がする。あまりに食べられなくて泣き叫ぶ。

悲しいというより、腹が立つ。怒りで泣けてくる。
何に対しての怒りなのかもわからくなってくる。
とにかく憎い。
食べられないということが憎い。
自分の体が憎い。
今通っている病院の医師が憎い。
西洋医学を批判する東洋医学が憎い。
マクロビオティック(で出会った人)が憎い。
説法を説くように体と食のことを話す人が憎い。

病院で薬を使って治療することに、ものすごく抵抗があった。病院にいかないことを人から責められたこともあった。葛藤して葛藤して、ようやく決断して決めた治療だった。

皮肉なことに、私が投薬せざるをえない状況になったのも、マクロビオティックに出会ったことが大いに関係しているのだけど、そのなかで私は改善していこうと必死になっていた。でも、さんざん傷つき、裏切られる結果だった。そうでありながらも、西洋医学不信はしっかり根付いてしまっていて、にっちもさっちもいかない状態だった。それでも、時間をかけた末、ようやく西洋医学の力を借りてみてもいいんじゃないかと思ったのだ。

もうほんとうにこれきりにしたい。
私があんまり辛そうなので、母も「もう注射やめよう。病院いくのやめよう」と言っている。
でも、そりゃ投薬はやめたいが、やめたら私の体は正常に働かないままなのかもしれない。

憎い。
くやしい。
私をこの体にしたのが、私のせいだとは思えない。
そして、この体である私のことを私が否定的に見ざるを得ないという価値観が憎い。それは私の視点なのか?私の視点だとは言いたくない。
私のせいじゃない!私のせいじゃない!って大声で言いたいんだ。あえて。

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